急行2号ワールド

いろいろします。

ガイ先生とうちはイタチ

NARUTOで最初に感動したのがガイ先生の「自分を信じない奴に努力する価値はない」というセリフがあるシーンだった。
そんなガイ先生が命がけでマダラと戦ったシーンは、正直、泣いた。
(ガイ先生を止めなかったリーも良かった)

そして最近、「イタチの生き方が理想だな」と思った。

イタチはガイ先生とは毛色が違うキャラクターだと考えている。
(そんな二人が対峙するシーンも良い)


イタチの生き方のどんなところが理想かというと、

家族や仲間にウソをつき通して死んでいった

というところ。


一見、というか当たり前だが、そんな生き方して楽しいの?とは思うし、そんなの楽しくない、と私は思う。


楽しくないけど、羨ましいのだ。


「(他人からは一族殺しと言われる)こういう自分が最善だ」と信じ、そういう自分を最期まで演じきった、というところが。


この「最善である自分を演じきる」、ここが本当に羨ましい。


イタチは里のために一族を殺して暁になって……という感じだった。

「誰かのために自分を演じる」って、そりゃ自分にとってはツラい感情が大部分を占めるだろうが、その誰かにとっては最高の自分である、というわけで……

そんな生き方ができたらな〜、と思う。


ガイ先生のような生き方はどちらかというと「最高の自分を求める自分のために最高になる」みたいなところがある気がする。
(もちろんそれが誰かを守るためにという目的には繋がっている。あくまでもそういう一面もあるよね、という意味で書いた。)
努力ってつまりそういうことだよね、と私は解釈してるし。


対してイタチはすべてが他人のための生き方だ。



うーん、どっちも羨ましいし憧れるけど、生きるとするならイタチのような人生がいいなあ。

たばこ


子どものころ、後部座席でたばこを吸う母親に「たばこ吸ってて体壊しても知らないよ。大丈夫なの?」と助手席から言ったら「うざい」と呟かれた。


おとなになった今、「吸いたいなら吸いなよ!」と言うようにしている。

最近、よけいにノドがいがいがする気がする。

アプリ「7年後で待ってる」感想

 

クリアしてけっこう日が経ってるが、

アドベンチャー(?)アプリ「7年後で待ってる」の感想を書く。

 

 

主人公は7年前以前の記憶を失っており、ゲームスタート時、その記憶を失った町に帰郷してきた。

 

その町でかつての友人(であったことも主人公は忘れているが)と再会を果たしつつ、目の前で起きる問題とともに過去の事件を解決していく……というストーリー。

 

舞台はおもに町にある巨大な病院。

主人公含む仲間は全員、幼少期を病院で過ごしており、主人公が記憶を失ったきっかけである7年前の事件も同じ病院で起きていた。

 

主人公に味方(?)してくれる町医者もいたり、裏社会の人間っぽいオジサンもいたりする。

 

ちょっとした医療ドラマを見ているよう……なのだが、

 

なのだが、

 

この話はタイムリープものである。

 

ようするに時間を巻き戻し、同じ日を繰り返しつつ、目の前の謎を解いていくゲームだ。

 

 

……この時点で「なんだタイムリープものか……」と肩透かしをくらったのだが(ちょっと前に「僕だけがいない街」を観たばかりだった)、最後までプレイしてみると涙を流している自分がいた。

 

ここからネタバレ。

 

 

 

 

主人公は病院側から「タイムリープできるかどうか」を実験される被験者だった。

同時に被験者として命の危機にさらされたヒロインがいた。

ヒロインは持病のため7年前に死んでしまっているが、そのときに主人公に臓器移植した。

 

で、

7年後、主人公はタイムリープ能力を身につけ、その能力で自分含む仲間の病気を治すことにチャレンジする。

それは「7年前に戻り、ヒロインを助け、ヒロインに臓器移植すること」だった。

主人公とヒロインの持病は全く同じだったのである。

 

そしてそのチャレンジには「ヒロインもまた主人公と同じ7年間を過ごし、その後、主人公と同じように病院の問題を解決する」必要があった。

 

ヒロインは主人公の想定通りに生きてくれるかわからない。

 

でも主人公はヒロインを信じ、ヒロインに未来を託した。

 

ここまででも私はじゅうぶん感動したのだが、

このゲームはそれで終わりではなかった。

 

 

なぜならすでに、

ヒロインは主人公と全く同じ7年間を過ごし、主人公と同じように問題を解決し、主人公と同じようにタイムリープし、主人公に未来を託していたのだ。

すでに。

 

つまり主人公はゲーム開始時から……というか7年前からすでにヒロインの手のひらの上で転がされていたのである(いい意味で)。

 

これがラストのラストで明かされた。

 

 

……泣くしかなかった。

純粋すぎる信頼関係に。

最近モヤモヤしていること

 

前回に引き続きイラスト関係の話になります。

 

この場における大前提として

・余計なお世話なのは私

というのをここに記します。

 

また、これは前回同様私個人の意見ですので、このようにブログ記事にいたします。

 

 

 

▼本題▼

 

Twitterでイラストを投稿している人ならきっとほとんどの人がその名前を知っているであろうAさん(仮名)がいる。

 

とにかく絵関係のことがめちゃ上手だし、その実力は人気相応だと思う。

 

ライフスタイル(たまに投稿される写真)からもセンスのよさみたいなものがうかがえる。

 

その人を見つけたときのきっかけなんかは忘れたが、とにかくその当時「こんなに上手な人がうろついてるなんてTwitterは魔界かな?」と思ったことは鮮明に記憶しているし、なんなら今でも「この人と私、同じ世界に住んでるんだよね?」みたいに時おり目眩がする。

 

どこから褒めればいいかわからないくらいとにかく上手なので、この場に関しては、とにかく絵がめちゃ上手ってことさえ伝わってくれればそれでいい。

それでいいのである。

 

 

それでもって、

ここ最近、そのAさんを真似してるんじゃないかなーみたいな他者のイラストを目にすることが多くなった。

 

今日触れたいのはそこだ。

 

しかしである。

絵でも音楽でも映像でも文章でも、無意識に他人の色に似てしまうことはごくごくありふれた現象だし、それはもうしかたないことだ。

私もそういうときが多々ある。

と同時に、あんまりつっこまれたくないことでもある。

他人に影響されている自覚があるから……。

 

だが、

だがあえて言わせてほしい。

 

Aさんの真似してる人めっちゃいるのよ。

 

 

めっちゃいるのよ。

 

 

他人の空似?

 

そんなわけがない。

ちょっとここでもう一度言わせてほしい。

 

Aさんはめっちゃ絵が上手だ。

 

そしてつけ加えるならば、

 

その上手さは常人が真似したくても真似できないレベルの上手さなのだ。

 

悔しいかぎりだけど。

 

 

Aさんはデッサンなど基礎の力を備えたうえでの上手さで、

Aさんのその絵は、

基礎がなければ成立しない絵柄であるように私は思っている。

 

 

そしてここからは言い方が悪くなるのでできれば人目にはさらしたくない言葉なのだが、

 

 

ふつうにAさんの真似をしたところで、

ふつうは模写にすらならない。

 

 

ここで触れているAさんの真似をしている人は、

 

Aさんのまとう雰囲気だけが似ている

 

……のである。

 

 

絵だけならまだしも、

Aさんのしてきたことや、写真に撮ったもの、描いたもの、

それらをすべて真似している人もおり、そういった人たちを目にする機会が本当に増えた。

それやりすぎじゃないの?ってくらい同じことをしている人がいるのだ。

 

 

で、今回、

それをなぜわざわざここに書いたかというと、

 

その真似した写真、絵を見るたび私の中にモヤモヤした気持ちがふつふつと沸き上がってくるので

その気持ちと折り合いをつけたく、

またその気持ちと他ならない私自身が向き合いたかったため、この場を設けさせてもらった。

 

Aさんが好きなのは伝わってくるし、

絵を描いたり写真撮ったりすることは楽しそうにしているし、

本人がそれでいいなら何も言うことはないし、

私が何か口を挟むのは間違っているんだけども、

いかんせん何故か胸がモヤモヤしてたまらないのだ。

 

この気持ちはなんなんだろうか?

本当になんなんだろうか?

誰か教えてほしい。

とある絵描きアカウントのフォローを解除したときの話

 

まず大前提として、私は「楽しんで絵を描いている人・人に楽しまれながら描かれた絵」が好きだ

 

なんかこっちまで楽しくなってくるし、こっちまで「描きたい!」と思わせてくれるから好きだ。

 

もちろん名だたる巨匠が描いた名画や、プロが描いた作品も好きだ。

なんかもう見ているだけでこの世の雑念を忘れられるから好きだ。

 

ここまでが前提だ。

 

 

私がTwitterを始めて、かれこれ5年くらいが経とうとしている。

 

それまでは個人サイトに掲載されているイラストや美術館で展示されている絵にのみ触れてきたように記憶している。

 

Twitterを開始し、イラストタグを使用しているアカウントをたどっていき、そこに尋常じゃないほどの数のイラストたちがひしめいている光景を目の当たりにしたとき「Twitterってすげー!」と感動した。

 

この感動は今でも日ごろからつねに味わっている。

 

 

で。

本題に入る。

 

 

先月くらいに、とあるアカウントをフォローした。

 

そのアカウントにもイラストが載せられていて、基本的にイラストや美術品に関係のあるアカウントしかフォローしない私が眺めるタイムラインにも、そのアカウントから発信されるイラストやツイートが流れることとなった。

 

当初は「ふ~ん、こういう人がこういうイラストを描いてるんだ~」と、娯楽的にタイムラインを眺めていた。

 

 

が。

ある日、こういったツイートが目にとまった。

それは先述したアカウントだった。

 

 

「ちょ、この人デッサン思いっきり崩れてるwwwww 本人気付いてないの?wwwww」

 

 

要約するとこんな感じのツイートだった。

 

 

私はさっそくそのアカウントのフォローを解除した。

 

 

 

もう一度言わせていただきたい。

 

私は「楽しんで絵を描いている人・人に楽しまれながら描かれた絵」が好きだ。

 

 

 

そして私は、

 

他人が描いた絵をあざわらう人が大嫌いだ。

 

 

だがこれに、ちょっと補足したいと思う。

 

他人が描いた絵にアドバイスをするならまだしも、

本人に直接リプライもせずに(ここ重要)、

「ちょ、この人デッサン思いっきり崩れてるwwwww 本人気付いてないの?wwwww」

とか言う人が大っ嫌いなのである。

 

 

私の「この絵好き」と感じる基準は「描いた本人が楽しんでいる」と伝わってくるか、

であり、

私のなかで「絵」とは「楽しんで描くもの」という考えを持っているため、上記のような「wwww」はそれ(「描いた本人が楽しんでいる」「楽しんで描くもの」)を侮辱した行為・言動だと見なしている。

 

よってサクッと解除した。

 

はなはだ不愉快だった。

 

 

その一件を今の今まで胸に抱えたままずっとモヤモヤしていたので、いい機会だからここに記させていただいた。

 

あーすっきりした。

 

 

 

 

デッサンが崩れているとかパース成立していないとかは、商業として利用されるもの以外であればべつに関係ないと思ってるし(そもそも絵は数をこなして上達するものだから自ずとうまくなる)、商業利用されているものだって「なんかこれおかしくない?」と思う作品も間々ある。

 

描いた本人だって自分の作品が世にでたあと、そのバランスの狂いや違和感に気付き、「ぬああああああ」と頭を抱えることはけっこうある。

 

 

 

つまりここで言いたいのは、

 

 

 

そんなこと言ってるおまえも気~つけとけよっ

 

いま言わしてもらうならおまえの絵も違和感バリバリだったぞっ

 

今となっちゃチッとも心動かされないけどなっ

 

 

 

……ということである。

 

このように、描き手の発言ひとつで、その手から生み出された絵から楽しさ・好ましさが一瞬にして塵と化してしまうものだから、Twitterはなかなか魔境であるとつくづく感じてやまない。

「スクスト」のシナリオについて語る。

どうも、特攻SRも引けないくせに草を消費しまくってる急行2号です。

 

(特攻SR……スクストで月末に開催される協力戦で並々ならぬダメージを叩きだせる特別なSRメモカ)

(メモカ……ソシャゲにおけるカード。スクストではこのメモカを集めるのが基本)

(草……スクストにおける回復薬。エリクサーの略称。決して「wwwww」のことではない)

 

 

今日はスクールガールストライカーズ、略してスクストのシナリオ、ひいてはメインストーリーの序盤について語りたいと思います。

 

スクールガールストライカーズとは

 ギャルゲー。

バトルもするが、基本的に女の子たちとの交流がメインとなる遊びかた。

日常でははっちゃける女の子たちであるが、メインストーリーでは重厚な展開が繰り広げられている。

 

このメインストーリー。

スクストではパラレルワールドを題材とし、女の子たちが戦士となって世界を狙う強敵モルガナと戦う……というのがおおまかな流れです。

 

 

今回特筆したいのはメインストーリーエピソードⅠ、第1話「たぶんわたしはこの世界を救わないといけないんだと思う」です。

 

このタイトルは沙島悠水(さじま ゆうみ)というキャラクターが実際に作中で発言するセリフ。

セリフから察することができるように、この女の子、非常に正義感が強いキャラクターです。

 

……が。

非常に正義感が強いキャラクター、なのですが。

 

なのですが。

 

この第1話の流れにご注目ください。

なんならインストールして直接目で確かめてください(基本プレイは無料です)。

 

 

第1話というけっこう重要な話にもかかわらず、この悠水ちゃん、初っ端からいきなり自作したアーサー王の伝説の剣≪エクスカリバー≫を自分が通う学園の裏庭にぶっ刺したところを教師に見つかって説教くらうという、なかなかのかっとばし具合を見せつけてくれます。

 

 

いいですか。

これがパラレルワールドを題材とした重厚なストーリーの第1話です。

 

第1話です。

 

 

 

え、なんで?

 

なんで裏庭に刺したの?

 

なんで剣?

 

なんでアーサー王?

 

え、なんで?

 

なんで?

 

 

 

説教している教師も困惑気味。

 

ここで弁明した悠水ちゃんの言い分はこうです。

 

「≪裏庭に眠る謎の聖剣≫ということで学園の七不思議になるかと思った」

 

 

??????????

 

 

困惑するプレイヤーを置いてきぼりにし、さらに悠水ちゃんのマイペースっぷりは続きます。

 

 

「うちの学園まだ新しくて不思議的な要素が足りない」

「七不思議のない学校なんて教育委員会から厳重注意されてもおかしくない」

「イチオシの七不思議は≪合わせ鏡の二頭身般若≫」

「オシフシ(推し不思議)」

 

 

 …………

 

なんで学校に不思議的要素を求めるのか?

 

なぜ七不思議にこだわるのか?

 

なぜ七不思議の候補(この学園では学園七不思議を投票で決めるらしい)の中に≪合わせ鏡の二頭身般若≫という謎すぎる般若があるのか?

 

合わせ鏡の二頭身般若っていったい何なのか?

 

合わせ鏡の……二頭身……般若。

 

般若????

 

なぜそんなものがこの女の子のオシフシなのか?

 

そもそも不思議は推さなければいけないのか?

 

不思議って推すものなのか?

 

合わせ鏡の二頭身般若は推してしかるべき不思議なのか……?

 

 

 

……と、このように、たった10分いかないくらいの、キャラクター同士の短い掛け合いにもかかわらず、プレイヤーの胸中をみごとに引っ掻き回すのが沙島悠水というキャラクターだったのです。

 

そしてだいじなのがこのキャラクターによってメインストーリーでの掴みが成立しているということです。

上記のように疑問が飛び交って仕方ないキャラクターを第1話に置くことで、プレイヤーの興味を惹きつけることに成功しているのだと考えます。

いや~みごとだな~。

 

私はスクストのシナリオライターさんのファンなのですが、こういう「プレイヤーの心と常識を思ぞんぶん引っ掻き回すキャラクター」はこのライターさんの得意分野なのではないかと推測します。

 

そのなかでも「引っ掻き回しスキル」が抜きんでているのがこの悠水ちゃんと癸生川と伊綱ちゃんですね。

 

そして引っ掻き回されるのが苦痛ではない、むしろ楽しく感じてしまうのがこのライターさん、ひいてはキャラクターたちのすごいところだと思います。

 

創作するにあたり見習うべきポイントですね。

 

 

以上、スクストのシナリオについての語りでした。

 

 

ちなみに≪合わせ鏡の二頭身般若≫は作中で実際に登場します。

 その謎すぎる姿、気になったかたはぜひプレイしてみてくださいねっ。

私がデューク・バンタレイを好きな理由

 
私には「どうしても好きなキャラクター」が三人います。
ひとりは先日記事にしたジャイロ・ツェペリ。
今日はもうひとり、Xbox360・PS3にて発売されたゲーム、テイルズオブヴェスペリアに登場するキャラクター、デュークについて語ります。
 
 
私はデュークが好きです。
大好きです。
 
 
何が好きかっていうと、
 
なぜ好きなのかっていうと、
 
それにはまずヴェスペリアとデュークについて少しWikipediaから引用させていただきます。
 
ほいっ。
 
デューク・バンタレイ (Duke Pantarei)
声 - 小山力也ミステリアスな雰囲気を漂わせる銀髪の美丈夫。ユーリたちの前に現れては時に諭し、時に戒めるような謎めいた言動を繰り返す。皇帝の証・宙の戒典を所持しており、それを手に各地のエアルクレーネの暴走を鎮めて回っている。人間や俗世との関わりを断ち、始祖の隷長たちに近い位置で世界の行く末を案じ、行動していた。ユーリたちとは異なる正義と揺るぎ無き信念を持ち、そのためにユーリたちの前に立ちはだかる最後にして最強の壁となった。
 
現在はどこにも所属していない放浪の身だが、かつての身分は皇帝家に連なるほどの位の高い貴族であり、騎士団にて従軍の経験もある。アレクセイ直々に復帰を求めるほどの実力者で、始祖の隷長エルシフルとともに人魔戦争を終結させた英雄。しかしその後、帝国がエルシフルの力を危ぶみ彼を殺害したことから人間たちに失望し離反。宙の戒典を奪取し帝国を去った。それらの記録は全て帝国から抹消されている。
 
本作のラストボス。戦闘はデューク、デューク第二形態と連続二回行われるが、特定のサブイベントを発生させると二回戦リザルト後に「虹翼まといし者」という第三形態との戦闘に突入する。パラメータが大幅に上昇するだけでなく、ユーリ達の技をも使用し、一定以上体力が減ると「凛々の明星」というユーリ達の秘奥義を複合した秘奥義で体力を大幅に回復する。
(Wikipediaより)
 
 
注目していただきたいのはココですね。
 
本作のラストボス
 
 
コレです。
ココです。
まずココです。
 
 
テイルズオブヴェスペリアとは剣と魔法のファンタジー、ゲームジャンルでいうとRPGです。
作中、主人公ユーリとその仲間はしょっちゅうバトルします。そうやって敵を打ち倒していくゲームです。
 
今日語らせていただくデュークという男性は、そんなゲームを締めくくる、そう、主人公たちが最後の最後にバトルするラストボスなのです。
 
 
次にココ。
 
>騎士団にて従軍の経験もある。アレクセイ直々に復帰を求めるほどの実力者で、始祖の隷長エルシフルとともに人魔戦争を終結させた英雄。しかしその後、帝国がエルシフルの力を危ぶみ彼を殺害したことから人間たちに失望し離反。宙の戒典を奪取し帝国を去った。
 
 
……特殊な用語も出てきたのでざっくり解説させていただくと、
 
このヴェスペリアの世界を治める帝国の軍事力として騎士団があり、デュークはこれに籍を置いていたものの脱退。しかしその剣術の腕前を惜しみ、騎士団長アレクセイが復帰を要請したほど。
 
また、始祖の隷長という強大な力をもつモンスター・エルシフルとデュークは種族を越えた友情をはぐくんでいました。
 
ところが、デュークとエルシフルがそろって大きな戦争に参加し、帝国の味方をしたところ、エルシフルがあまりにも強すぎたため、これを危ぶんだ帝国は秘密裏にエルシフルを殺害
 
デュークは帝国および人間に失望し、帝国の宝である宙の戒典を奪取し帝国から離反した。
 
……ということです!
 
 
もっとわかりやすく説明します。
 
 
デュークは大切な親友を祖国に殺され、「せっかく戦争で勝利に貢献してやったのに! もう人間なんか信用するかバーカ!」と決意し、国宝を奪って脱走した。
 
 
ということです!
(※口調はわかりやすく改変しています。)
 
 
この一連の事件が、デュークが作中、主人公ユーリと対峙するひとつの要因となったのですが、そのほかにも原因が。
 
 
それは、
 
「人間が好き勝手に魔法を使うから、世界がエネルギー過多になって天災が起きた」
 
です。
 
 
これはヴェスペリアの中盤~終盤にかけて取り沙汰される、メインになる問題なのですが、
デュークはこの問題に対し、
 
「いっそ人間だけ滅ぼそう」
 
といった行動に出ます。
 
 
それはなぜか?
 
その理由とは?
 
 
上記のWikipediaから引用した文には載っていませんが、デュークは帝国から奪った宝・宙の戒典というアイテムを使い、人知れず世界の自然エネルギーのバランスを正常に保ち続けていました。
 
ちょっとここもざっくり説明しようと思いますのでお付き合いください。
 
 
ヴェスペリアの世界には「エアル」という自然エネルギーが存在します。
このエネルギーを使い、人間は魔法を使ったり、機械を動かしています。
人体にも存在しているほか、エアルクレーネというエアルの源泉から湧いて出てきます。
 
しかしこのエネルギー、大量にあふれると自然界のバランスが崩れてしまうのです。
 
モンスターが狂暴になったり、人体に悪影響が出たり、しまいにはエルシフルなどの始祖の隷長が進化を遂げ、「星喰み」という世界の存亡を脅かす存在になったりします。
 
世界はたまったもんじゃありません。
 
 
だけどヴェスペリアの世界に住む人間は魔法を使うし、エネルギーを大量消費したりします。
 
 
簡単に言うと環境汚染ですね。
 
その環境汚染問題がヴェスペリアの終盤にかけてのテーマともなり、デュークがユーリと敵対する原因になりました。
 
 
ユーリ(および世界の支配層)の言い分はこうです。
 
「もう機械を使うことはしない。エアルに代わるマナという新しいエネルギーも見つけた。マナは環境汚染は引き起こさないし人間はもう機械を捨てる」
 
 
これに対するデュークの言い分はこうです。
 
「人間がいつでも身勝手に振る舞うことは身をもって知ってるし都合のいいことしか言わない、これからもそれは変わらないだろうから、諸悪の根源である人間だけ世界から消えれば万事解決」
 
 
ああー、どっちも極端!
 
書いててヤキモキしてきましたが、私、どっちの言い分に納得したかというとデュークのほうだったんです。
自分の両手はユーリを操作してるのに。
 
それがデュークを好きになったきっかけでもあります。
 
 
だってデュークは、べつに世界すべてを滅ぼそうとしてるのでは決してなく、あくまで世界の自然環境を安全に維持するためにラストボスとしてゲームの最後に立ちふさがってきたわけです。
 
そこにユーリは待った!をかけたのです。
 
諸悪の根源だからって人類滅ぼすことはないんじゃないの、と。
 
 
擁護するつもりではありませんが、デュークにとって、親友を殺したような人間よりも、始祖の隷長というモンスターのほうが心のよりどころになっています。
 
モンスターや動物が気ままに暮らしていることがデュークにとって平和でしたし、なにより彼が10年もの歳月おこなってきたであろう「自然界のエネルギーをバランスよく維持する」という役目は、本来ならば始祖の隷長がおこなう使命なのです。
 
(始祖の隷長はエアルを食べることによって環境汚染が起こらないよう何千年も生きている)
 
 
そこにとつぜん、
 
 
ユーリ「新しい(けどまだ詳しくは解明していない)エネルギー源を見つけたからもう世界は大丈夫! (確かな保障はできないけど)この新しいエネルギーで星喰みもやっつけられるよ!」
 
なんて来られても、
 
 
デューク「いや知らんし、人間の体内にあるエアルを全人類ぶん使えば確実に星喰みは消せることはわかってるし、なにより人間は何度も失態見せてきてるやん」
 
ですし、
 
 
ユーリ「人間を信じろ!」
 
と今さら言われても、
 
 
デューク「無理(俺の親友を殺したのは人間だって知ってるよな?)」
 
ですよ。
 
 
(実際、ユーリたちの「星喰み対策」はぶっつけ本番でなんの確証もなかったし、ユーリたちは国に親友を殺されたデュークの話を事前に聞いてた。)
 
 
ちなみに、
 
ユーリ「アンタも人間なんだから、アンタがやることやったらアンタも死ぬじゃん! え、それでいいの!?」
 
というのに対しては、
 
デューク「是非もない(しゃーない、これも世界守るためやし)」
 
という姿勢でした。
 
 
(※口調はほぼわかりやすく改変しています。)
 
 
 
まあそれはともかく、話を整理しますと、
 
デュークの魅力は国に裏切られた過去から成り立つ、揺るぎない「世界(自然界)安寧」への姿勢
 
であります。
 
 
具体的に言うと「一度決めたことを貫徹しているところ」です。
 
 
このデューク、じつは作中、ことあるごとにユーリたち主人公一味に助太刀してきました。
 
それは「ユーリたちが敵対している相手が環境汚染を悪化させる行為をしている真っ最中だったから」です。
 
 
つまりユーリたちだから助けていたのではなく、一から十まで「環境汚染がこれ以上進まないように動いて、状況を悪化させている標的に近づいてみたら、たまたまユーリたちがその標的を退治しようとしていたからついでに助けた」のです。
 
 
思い返せばデュークの行動理念はことごとく「世界の環境を守るため」でした。
 
 
ここまでブレないキャラクターがいるんだ、と私はゲームプレイ時、感動しました。
 
 
 
さらに感動したのが、ヴェスペリアのシナリオブック(ゲーム中に登場するキャラクターのセリフやイベントを網羅したファンブック)に収録されていた後日談です。
 
 
ここから先はゲーム終了後のネタバレになるのですが、もう何年も前の作品だからネタバレしてしまうとして、
 
 
デュークは結局、バトルに敗れたすえに折れ、ユーリたちに環境汚染問題の解決を任せることにしました。
 
 
しかしこの時点では「ユーリたちに免じて妥協したに過ぎない」ということは忘れてはなりません。
 
 
後日談では、生活基盤として存在していた便利な機械たちを放棄したユーリたちの日常が描かれています。
 
ユーリたちがモンスター退治に各地を訪れていたところ、そこにデュークがふらっと登場。
 
モンスターを愛するデュークは力ずくで退治することなく、モンスターの興奮をおさめることに成功し、そのまま退場。
 
ユーリたちは「また人間が何かやらかしたら今度こそアイツ(デューク)が黙ってない」と改めて実感しました。
 
 
何に感動したかって、後日談においてもブレないその姿勢です……。
 
 
ふつうこういうときのラスボスは改心するか改心せず自死するか殺されるか、みたいなところですが、デュークはとくに心は入れ替えず、後日談でも素のまま(ゲーム中の性格のまま)行動していたのです。
 
 
 
たぶん、また何か問題が起こったら今度こそ容赦しないんだろうなとプレイヤーに思わせられる振る舞いに私は惹かれたんだろうと思います。
 
そこまで想像させてくれるキャラクターって初めて出会いましたし、一貫しているその姿勢、素直に尊敬します。
大して思い悩む描写もなく、切り捨てるものはスパッと切り捨てるその生きかた、とても潔いんです。憧れすぎてキリがない。
 
 
以上、私がデュークを好きな理由でした。
 
ヴェスペリアの主人公ユーリもわりとスパスパいくキャラクターなのでおもしろいです(こちらはデュークと対照的に葛藤したりしますがそこも人間味があって良い)。