急行2号ワールド

いろいろします。

近状についての雑記

 

ここ最近、毎日イラストを描いている。

 

やっぱり「描くこと」が好きだなあと実感。

と、ともに、「一日描かない日を作ってしまったら今あるスキルさえ紛失してしまうのではないか」という恐怖も実感。

 

イラストを描くのは、それこそ小さいころから好きだったのだけど、16〜18歳かそのくらいのあいだ、まったく描かない時期があった。

数年間描かなかったわけなので、そりゃとうぜん描くことを再開したときには「ヘタクソだなあ」としか思わなかった。「以前はどうやって描いてたっけ?」とも思った(答えは見つからなかった)。

ひどい有様だったのだ。

そのひどい有様を体験しているので、よけいに恐怖感がある。

 

そんなものだから、イラストを描く喜び半分と、描かなきゃまたヘタクソになる不安半分で現在はイラストを描いてる。

けっこう複雑な心境である。

 

ところが、これは文章に対しても同じことを言える気がしてならない。

私の二本の腕じゃあひとつの作業しかできないので、あたりまえながら、イラストを描きながら文章を書くということができない。

そーすると、今度は「文章がヘタクソになる」という恐怖におびやかされる。

されている。

 

文章に関してはまだまだドがつくほど素人だし、経験年数も浅いので、さらに不安が襲ってくる。

 

そんな不安を払拭したい本能が働き、最近、イラストを描いている間、文章をどう書くかについて考えている。

考えることによって「ヘタクソにはならない」というチンケな安心を得たいのだ。

 

そんな毎日を送っている。

体調はだいぶ良くなった。

たまにめまいがするけど、それは人混み入ったとき限定なので、いくらでも対処できるのでオッケー。

というか、どうせロクに外出できていないのが現状だ(家でやることがあるので)。

スタバでくつろぎながら悠々とイラストを描いてみたいものだが、ドリンク一杯で長居するのも気が引ける。

 

あ。

しかし、引きこもり生活で歩行すら疎かにしてしまっているので、せめて歩きたい欲求に駆られている……ホントに……。

 

あとはそうだなー、

スカートのチャックを壊したこととか(すごくショックだった)。

洋服選びは慎重にします……。

 

あとはあとは、

私、こう、クールでミステリアスなキャラクターで2018年を生きたい。その方法と手段を探っている。

なんかカッコよさそうだから。

 

以上です。

全力で仕事にぶつかりたい理由は自分に自信がないから。

自分に自信がない。

これは私のここ数年抱えるテーマ。

 

仕事を辞めて、フリーになって10ヶ月くらい。

クラウドソーシングでの仕事が主な収入源になっていたのだが、まあ安定しない、というのが正直なところであると同時に、どこの会社にも所属しないので完全個人が看板となり、どこかの仕事のどこかの誰かに失礼しなかっただろうか……という心配に、つねに苛まれることとなった。

(メッセージのやりとりではこれ以上ないほどに気を使っていますが、それでも『こいつ無礼だな』とか思われてないだろうか等、すごく気になります。ヘマこいたこともしばしば。)

また、「こいつしょーもない仕事しかしないな」と思われていないかなどなど……挙げだしたらキリがない……

 

そして、そんな自信のない私をSNSでひた隠しにしておくのにも限界が来たのでもう一度言う。

 

 

私は自信がない!

 

だけど、それゆえに与えられた仕事には全力でぶつかってる!

 

 

のだ。

 

 

言えてスッキリした。

本音しか言わないブログでごめんなさい。

 

 

本当にありがたいことに、SNSにイラストを載せると、嬉しいコメントをいただけることも増えた。

 

褒められることが苦手なため、ろくな返信ができていないのが悩みだ。

これは『けなされる自分があたりまえ』という価値観を持った、ややイビツな性格が元凶だ。

 

でも褒められることは大好きだ。

大好きだ。

画面の前でニヤニヤしている私がいるのだ。

 

 

今年、2018年は、

自信がどうこうの前に、

 

2017年よりもさらにイラストの制作に力を入れつつ、

小説もさらに磨きをかけつつ、

対人関係をさらに丁寧にする、

 

そんな一年にしたい。

 

あと、もっと優しい人間になる。

 

 

そんな私はただいま想像似顔絵のご依頼などを受け付け中です。

 

想像似顔絵やその他仕事に関するお問い合わせは

想像似顔絵とは - 急行2号ワールド

をご覧くださいっ。

近状報告と仕事に関するお知らせ

 

ここ数日、一日中めまいが続く日ばかりで、ちょっと不安になって検査を受けてきました。

結果なんともなく、おそらく精神面での原因から起こるめまいだろう……ということでして、しばらくのあいだ趣味での創作(イラストと小説)の更新頻度を落とすことと、想像似顔絵および似顔絵の依頼受付を停止いたしますことを決めました。

 

原因はプライベートのことです。オンラインで問題があったとかいうわけでは決してございません。

 

不甲斐なくて大変申し訳ございません。

その他の仕事に関しましてはつつがなく進行していきます。

(そのための創作ペースダウンと似顔絵依頼停止です)

 

体調が安定次第、停止分を再開させていただきます。

何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

急行2号

「職場でのセクハラ」「童貞」「地震時の『おっぱい!』」について

自分のスマホに流れているTwitterのタイムラインで、連日話題になっている「著名人のセクハラ問題」。

 

数年間(おそらく重く)抱えてきたセクハラの体験談を告白したことには、私も感服しましたし、セクハラは本当に気色のいいことではないなと改めて思いました。

 

ただ。

 

……自分がこの「ただ」を用いる場合は、その「ただ」を切り替え地点とし、「ただ」以前に挙げた前者の事柄とは正反対(あるいは真逆に近い)の要素を含んだ側面があると感じることがほとんどです。

 

なのでもう一度言います。

 

ただ私は、

その告発人の過去の発言、おもに「童貞」をネタにした発言も、それはちょっとダメなことなんじゃないの、と感じています。

 

しかも、その方は、

 

「童貞をネタにすることはバッシングするのに、地震が起きたら『おっぱい!』とツイート(発言)するのはいいの?」といった旨の発言をなさってました。

 

 

おっぱいはどこから出てきたのよ?

 

 

私はすぐにそう思いました。

 

 

しかしこれは、先日から大きな話題となっている「職場でのセクハラ」「童貞をネタにした不特定多数の人へのイジり」、それから「地震の時の『おっぱい!』」……

 

その方はおそらく、これら三つを同じ「セクハラ」という括りで論じられているのだと気付きましたので、ひとまず「なぜ『おっぱい』が出てきたのか」という点については納得しました。

 

セクハラはセクハラということです。

 

 

で、ひとつずつ、ひもといていこうと思うのですが、

 

まず「職場での上司による過度なセクハラ」は論外であるとともに、くだんの上司からは謝罪と社会的制裁が加えられた(辞職なさった)ことで、ここはスルーします。

 

……では、「謝ればいいのか?」という観点で考えますと、

その「童貞をネタにした不特定多数の人へのイジり」も、そのイジったご本人は謝罪そのものはなさっています。

 

ではこれもスルーしてよいのか?

ここで私は悩んでいます。

 

なぜ悩んでいるかというと、その「童貞をネタにした不特定多数へのイジり」に関連づけるかたちで「地震の時の『おっぱい!』」問題が浮上させられたからです。

 

これまでの考え方から言うならば、その「地震の時の『おっぱい!』」をスルーするためには、地震の時に『おっぱい!』とツイートした人全員が謝罪する必要があるのではないか、ということになります。

(スルー=納得、という意味で書かせていただいています。)

 

これは、イジられる側が不特定多数であった「童貞をネタにしたイジり」と逆パターンで、イジる(『おっぱい!』とツイートする)側の人間が不特定多数になります。

 

さらに、その「地震の時の『おっぱい!』」に対して「不快」と発言した声が大きくなっているのは「童貞をネタにした不特定多数へのイジり」をしたご本人になります。

 

 

ちょっとよくわからなくなってきました。

 

 

「地震の時の『おっぱい!』」に対して「不快」と発言した意図は、「誰がどういったことにセクハラだと感じるかのラインを自分の中で明確にしたい」というものです。

 

ご本人の言葉を借りるなら「屁理屈」です。

どう足掻いても屁理屈です。

 

その「屁理屈だと感じる」ことを含め、ここからはさらに私個人の考えで書かせていただきます。

 

 

まずその「童貞をネタにした不特定多数へのイジり」をしつつ「職場でのセクハラ」を告発したあとで「地震の時の『おっぱい!』も私は不快だ」と発言したご本人がなぜこうも槍玉にあげられているのかというと、

 

それは単純明快で、

 

「童貞をネタにした不特定多数へのイジり」をしつつ「職場でのセクハラ」を告発したあとで「地震の時の『おっぱい!』も私は不快だ」と発言なさったからです。

 

ここが今回の一連の(本当にいくつも問題が連なった)騒動の大きなポイントかつ総括だと思われます。

(身も蓋もないです。)

 

 

じゃあどうすれば槍玉にあげられなかったのか。

これもシンプルで、

「童貞をネタにした不特定多数へのイジり」をしていなければよかったのです。

 

していなければよかった、というのは、

万一「童貞をネタにしたい」という欲求を抱いたとしても、それは己の胸の内だけに秘めておけさえすればよかった、ということです。

 

もっと言うならば、「地震の時の『おっぱい!』」も、

 

「童貞をネタにした不特定多数へのイジり」をしていない人が、日ごろから「童貞をネタにしてイジられている人」を目の当たりにし、それになんらかの思うところがあって「それっていいの?」と提起し、さらに「地震の時の『おっぱい!』というツイートも、じつは私は不快だ」と発言していたのなら、こうまで非難されることもなかったと思います。

 

ようは「常日頃から潔白であれ」ですね。

 

まあ、そんなことは人間誰しも難しいですし、今となっては時すでに遅しです。

 

そしてこうした、「童貞をネタにした不特定多数へのイジり」をしつつ「職場でのセクハラ」を告発したあとで「地震の時の『おっぱい!』も私は不快だ」と発言したことによる騒動で霞みがちになってしまうのが「そもそもセクハラはその規模の大小問わず全部ダメ」という根本的なことです。

これは霞んじゃダメなことです。

 

なので、私にできることがあるとすれば、そういった「自分が『これをこう言ったら(行動したら)セクハラになるかもしれない』と予測できることについては何も発言しない・行動しない」ということだな、と思いました。

 

もっと大切なのは「何がセクハラになりうるのかを予測できる思考力」を磨くことです。

 

きっと「童貞をネタにした不特定多数へのイジり」をしつつ「職場でのセクハラ」を告発したあとで「地震の時の『おっぱい!』も私は不快だ」と発言したご本人も、そうした思考力をより研ぎ澄ませたいがために「童貞をネタにすることはバッシングするのに、地震が起きたら『おっぱい!』とツイート(発言)するのはいいの?」と提起なさったのでしょう。

 

あえて言うならば、

 

「職場でのセクハラも童貞をネタにした不特定多数へのイジりも地震の時の『おっぱい!』も同列だよ」

 

ということです。

 

おしまい。

 

(余談ですが、テレビでは連日相撲についてのニュースが放送されているため、地震の時の『おっぱい!』というフレーズを目にしたとき真っ先に私の頭の中に浮かんだのは力士でした。

なので、この記事で取り上げた「地震の時の『おっぱい!』」も、必ずしも女性のバストを発言したものではない=男性女性問わず、なんなら人間以外の動物のおっぱいについてツイートした可能性もある、と感じました。

……ですので、もしもこの

>「童貞をネタにすることはダメなのに地震の時の『おっぱい!』はいいの?」

という旨の発言は、

>「童貞をネタにすることはダメなのに地震の時の『(女性の)おっぱい!』はいいの?」

ということだったのか? ということについて知りたいと思いました。以上余談です。)

ガイ先生とうちはイタチ

NARUTOで最初に感動したのがガイ先生の「自分を信じない奴に努力する価値はない」というセリフがあるシーンだった。
そんなガイ先生が命がけでマダラと戦ったシーンは、正直、泣いた。
(ガイ先生を止めなかったリーも良かった)

そして最近、「イタチの生き方が理想だな」と思った。

イタチはガイ先生とは毛色が違うキャラクターだと考えている。
(そんな二人が対峙するシーンも良い)


イタチの生き方のどんなところが理想かというと、

家族や仲間にウソをつき通して死んでいった

というところ。


一見、というか当たり前だが、そんな生き方して楽しいの?とは思うし、そんなの楽しくない、と私は思う。


楽しくないけど、羨ましいのだ。


「(他人からは一族殺しと言われる)こういう自分が最善だ」と信じ、そういう自分を最期まで演じきった、というところが。


この「最善である自分を演じきる」、ここが本当に羨ましい。


イタチは里のために一族を殺して暁になって……という感じだった。

「誰かのために自分を演じる」って、そりゃ自分にとってはツラい感情が大部分を占めるだろうが、その誰かにとっては最高の自分である、というわけで……

そんな生き方ができたらな〜、と思う。


ガイ先生のような生き方はどちらかというと「最高の自分を求める自分のために最高になる」みたいなところがある気がする。
(もちろんそれが誰かを守るためにという目的には繋がっている。あくまでもそういう一面もあるよね、という意味で書いた。)
努力ってつまりそういうことだよね、と私は解釈してるし。


対してイタチはすべてが他人のための生き方だ。



うーん、どっちも羨ましいし憧れるけど、生きるとするならイタチのような人生がいいなあ。

たばこ


子どものころ、後部座席でたばこを吸う母親に「たばこ吸ってて体壊しても知らないよ。大丈夫なの?」と助手席から言ったら「うざい」と呟かれた。


おとなになった今、「吸いたいなら吸いなよ!」と言うようにしている。

最近、よけいにノドがいがいがする気がする。

アプリ「7年後で待ってる」感想

 

クリアしてけっこう日が経ってるが、

アドベンチャー(?)アプリ「7年後で待ってる」の感想を書く。

 

 

主人公は7年前以前の記憶を失っており、ゲームスタート時、その記憶を失った町に帰郷してきた。

 

その町でかつての友人(であったことも主人公は忘れているが)と再会を果たしつつ、目の前で起きる問題とともに過去の事件を解決していく……というストーリー。

 

舞台はおもに町にある巨大な病院。

主人公含む仲間は全員、幼少期を病院で過ごしており、主人公が記憶を失ったきっかけである7年前の事件も同じ病院で起きていた。

 

主人公に味方(?)してくれる町医者もいたり、裏社会の人間っぽいオジサンもいたりする。

 

ちょっとした医療ドラマを見ているよう……なのだが、

 

なのだが、

 

この話はタイムリープものである。

 

ようするに時間を巻き戻し、同じ日を繰り返しつつ、目の前の謎を解いていくゲームだ。

 

 

……この時点で「なんだタイムリープものか……」と肩透かしをくらったのだが(ちょっと前に「僕だけがいない街」を観たばかりだった)、最後までプレイしてみると涙を流している自分がいた。

 

ここからネタバレ。

 

 

 

 

主人公は病院側から「タイムリープできるかどうか」を実験される被験者だった。

同時に被験者として命の危機にさらされたヒロインがいた。

ヒロインは持病のため7年前に死んでしまっているが、そのときに主人公に臓器移植した。

 

で、

7年後、主人公はタイムリープ能力を身につけ、その能力で自分含む仲間の病気を治すことにチャレンジする。

それは「7年前に戻り、ヒロインを助け、ヒロインに臓器移植すること」だった。

主人公とヒロインの持病は全く同じだったのである。

 

そしてそのチャレンジには「ヒロインもまた主人公と同じ7年間を過ごし、その後、主人公と同じように病院の問題を解決する」必要があった。

 

ヒロインは主人公の想定通りに生きてくれるかわからない。

 

でも主人公はヒロインを信じ、ヒロインに未来を託した。

 

ここまででも私はじゅうぶん感動したのだが、

このゲームはそれで終わりではなかった。

 

 

なぜならすでに、

ヒロインは主人公と全く同じ7年間を過ごし、主人公と同じように問題を解決し、主人公と同じようにタイムリープし、主人公に未来を託していたのだ。

すでに。

 

つまり主人公はゲーム開始時から……というか7年前からすでにヒロインの手のひらの上で転がされていたのである(いい意味で)。

 

これがラストのラストで明かされた。

 

 

……泣くしかなかった。

純粋すぎる信頼関係に。